秋田100キロが2年間休止に。。。
秋田100キロの2年間の休止が決定した。それとなく、情報は入ってきていたので、心の準備はしていたものの・・・休止決定の新聞報道を見て、あらためてショックを受けた。
秋田100キロのイイトコってどんなところだろう・・・。
5年参加した自分としては、最初の頃はエイドの充実さに驚いた。今まで参加してきたどのウルトラマラソンよりもエイドがいい。3年目を走ったときは、県外のランナーに誇れる大会だと思った。実行委員長はじめ、大会に携わっている多くの人たちの情熱に心打たれた。4年目走ったときは、この大会をきっかけに出会いがたくさん生まれたことに気づいた。地元で手形陸橋RFという秋田100キロを通じてできたチームにも入れたし、素晴らしい仲間と今も一緒に居れることに感謝した。5年目だった昨年。誇れる大会に、多くの知り合いを呼ぶことができた。大阪から京都から、10人以上の知り合いが足を運んで秋田路を走ってくれた。これも一生忘れられない思い出。
秋田100キロ、それは自分の生き方を変えてくれた貴重な大会。毎年あのコースを走ると、新しい何かが自分に芽生える。それが今年ないというのは・・・そう、悲しいでもない、寂しいでもない、何かもっと別な・・・言葉では表せないような複雑な心境だ。
秋田100キロは、2年後に必ず帰ってきて欲しい。乗り越えられない壁はないと思う。ただし、容易でもない。多くの皆さんの熱い情熱、そして新しい発想、これが復活の鍵のような気がする。
秋田100キロのイイトコってどんなところだろう・・・。
5年参加した自分としては、最初の頃はエイドの充実さに驚いた。今まで参加してきたどのウルトラマラソンよりもエイドがいい。3年目を走ったときは、県外のランナーに誇れる大会だと思った。実行委員長はじめ、大会に携わっている多くの人たちの情熱に心打たれた。4年目走ったときは、この大会をきっかけに出会いがたくさん生まれたことに気づいた。地元で手形陸橋RFという秋田100キロを通じてできたチームにも入れたし、素晴らしい仲間と今も一緒に居れることに感謝した。5年目だった昨年。誇れる大会に、多くの知り合いを呼ぶことができた。大阪から京都から、10人以上の知り合いが足を運んで秋田路を走ってくれた。これも一生忘れられない思い出。
秋田100キロ、それは自分の生き方を変えてくれた貴重な大会。毎年あのコースを走ると、新しい何かが自分に芽生える。それが今年ないというのは・・・そう、悲しいでもない、寂しいでもない、何かもっと別な・・・言葉では表せないような複雑な心境だ。
秋田100キロは、2年後に必ず帰ってきて欲しい。乗り越えられない壁はないと思う。ただし、容易でもない。多くの皆さんの熱い情熱、そして新しい発想、これが復活の鍵のような気がする。
by takanori922
| 2006-01-25 23:29
| ウルトラマラソン